千葉地方裁判所佐倉支部 昭和32年(タ)2号 判決 1958年10月14日
原告 福田稔
被告 検察官
主文
被告は原告が国籍、中華民国台湾省高雄市以下不詳、最後の住所、千葉県成田市八百十六番地亡林清登の子であることを認知すべし。
訴訟費用は国庫の負担とする。
事実
原告法定代理人は主文第一項同旨の判決を求め、その請求の原因として原告の亡父訴外林清登は中華民国台湾省高雄市以下不詳に国籍を有する外国人であつたものであり、原告の母訴外福田操は生来の日本人である。又原告は右亡父林清登がその存命中原告の母右福田操と昭和二十八年九月十日事実上の婚姻を為し、爾来事実上の夫婦として成田市成田八百十六番地で中華料理店兼宿屋営業を営み同棲中昭和二十九年十月二十三日成田市成田五百三十三番地の八渡辺病院において真実右父林清登及び母福田操の子として出生し、同年十一月十二日母福田操の婚外子としてその戸籍に入籍した生来の日本人である。爾来原告は父林清登及び母福田操の許で養育せられていたが、父林清登は原告を認知しなかつたものである。然るところ、父林清登は原告を認知しないまゝ昭和三十二年二月六日前記住所で死亡して仕舞つたので、こゝに検察官を相手取り原告は右林清登の子であることの認知を求むるため、本訴請求に及んだと述べ、立証として甲第一、二、三、四号証を各提出し、証人加藤登、同大竹寛及び原告法定代理人福田操の各尋問を申出でた。
被告は適式の呼び出しを受けたのに拘らず、本件口頭弁論期日に出頭せず、且つ答弁書その他の準備書面をも提出しない。
理由
原告は日本人であつて検察官を相手取り外国人(中華民国人)たる亡父訴外林清登の子であることの認知を求めるものであるところ、凡そ渉外的私法関係における子の認知については法例第十八条第一項の適用を受けるものであることは明らかである。法例第十八条第一項の規定によれば、子の認知の要件はその父に関しては認知の当時父の属する国の法律によつてこれを定め、その子に関しては認知の当時子の属する国の法律によつてこれを定めることになつているのであつて国際私法上認知の要件は父及び子の各々についてその準拠法は所謂属人主義をとつているものといわなければならない。従つて本件認知の要件については後記認定の如く原告の父と認めらるべき亡父訴外林清登が中華民国に国籍を有するものであるから右父に関しては中華民国の法律をその準拠法となし、又原告は生来の日本人であるから日本国の法律を準拠法となし、この両者の法律を結合して本件請求の当否を判断しなければならない。そこで中華民国法(親族編)第千六十七条の規定によれば子の認知の要件について婚生でない子(婚生でない子とは婚姻関係によらないで受胎して生れた子をいう。同法第千六十一条参照)の生母またはその法定代理人は子の生母がその受胎期間に生父と同居をした事実があるとき、生父の作成した文書によつてそのものが生父であることを証明することができるとき、その他の場合(その他の場合はこゝに記載を省略する。)にその生父の認知を請求することができることになつているのであり、この実質的要件の具備することが認められる限り生父たる者、子を当然に認知しなければならないのであつて、これは独り任意認知に限らず若し生父にしてこれを肯じない場合には訴訟による強制認知の手段に訴えることも亦可能であるといわなければならない。尤も右中華民国民法第千六十七条その他にも子の相手方たる生父の死亡した後の認知については何等規定するところはない。もとよりその訴訟手続についても知る由もないのである。然るに子の本国法たる我が日本国民法第七百八十七条の規定によればかゝる場合にも当然に認知の訴を提起することができることを予定しているのであつて、その訴訟手続としては人事訴訟手続法第三十二条第二項によつて準用せられる同法第二条第三項の規定によつて認知者たるべき父死亡した後は一定の制限のもとに検察官をもつてその相手方とすべきものであることは明らかである。そこで原告の亡父なりと称する訴外林清登の本国法たる中華民国の法律ではこの点について何等規定せざるに拘らず子の父死亡後の認知の請求が果して許されるがどうか、又これを許すとしても検察官を相手取るべきものかどうか、頗る疑問とせざるを得ないのである。惟うに子の認知制度は真実の父の判明せる場合にはその父をして子が自己の子であることを認知せしめ、もつてでき得る限り子の社会生活ないし法律生活上の父の判明しないことによる子の蒙る不利益から脱脚せしめ子の利益を擁護する趣旨なりと解すべきであるから、準拠法とする亡父の本国法においてこの点につき何等規定しないか、若くは法の存在が不明の場合にはこれを規定する子の本国法たる前記日本国民法第七百八十七条及び人事訴訟手続法第三十二条第二項第二条第三項を準拠法として認知者たる父死亡後は公益代表者たる検察官を相手取り認知の訴を提起することができるものと解し事件を解決処理することが条理に妥当するものなりと思料するのである。然らば原告の本件認知の訴は適法である。そこで真正に成立したと認め得る甲第一号証(戸籍謄本)及び同第三、四号証(成田市長の各証明書)、証人加藤登、同大竹寛の各証言、原告法定代理人福田操の供述竝びに右各証言等によつて、その成立を認め得る甲第二号証(誓約書)を綜合すれば、原告は中華民国に国籍を有する訴外亡林清登が存命中昭和二十八年九月十日同訴外人と事実上婚姻せし日本人たる訴外福田操との間に真実同人等の子として、昭和二十九年十月二十三日成田市成田五百三十三番地の八渡辺病院において出生し、当時母福田操の戸籍に入籍した生来の日本人であること、原告は右出生以来右父訴外林清登及び母訴外福田操の許で事実上養育せられていたこと、然るに右父林清登は原告を認知しないまゝ昭和三十二年二月六日その住所たる成田市成田八百十六番地において死亡したことを認めることができる。然るところ、前示証拠によれば原告はその生母たる訴外福田操が右の如く昭和二十八年九月十日原告の父訴外林清登と事実上婚姻して以来成田市成田八百十六番地において、中華料理店を経営しながら引き続き同棲しているうちに原告を受胎して前示の如く昭和二十九年十月二十三日原告を出産したものであつて原告の生母福田操はその受胎期間内に訴外林清登と同居した事実が優に認め得られるのであり、しかも福田操は少くとも右受胎期間中右林清登以外の男性と情交関係があつたことの事跡とてないこと、原告が出生後亡林清登は存命中自発的に原告の母福田操との間で訴外加藤登、同大竹寛等のとりなしで、原告が自己の子であることの事実を証明する文書なりと認められる甲第二号証の誓約書を作成して証明していることが認め得られるのである。果して然らば、これ等認定の事実に徴すれば正しく原告の生父林清登の本国法たる前示中華民国民法第千六十七条に規定せられる認知の実質的要件を充足せることが認め得られるが故に原告は訴外亡林清登の子であるものと認めるのが相当である。よつて、原告の本訴請求は正当として認容すべく、訴訟費用の負担につき、子たる原告の本国法たる日本国人事訴訟手続法第三十二条第二項第二条第十七条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 立澤貞義)